勇気~当たり前に持っているもの?

地下鉄に乗っていて、杖をついているきっと私よりも年上の女性に席を譲ったことから、乗り合わせたほんのつかの間でしたが親しくお話をする機会がありました。

woman wearing black hat and colorful jacket

その方は、足を悪くされ歩くことができなかった時期があったようです。
その後、おそらく長い時間をかけて歩くことができるようになったらしいことが話の端々から想像できました。

穏やかな落ち着いた声で

「今はね、歩くことができるようになったの。歩けるって嬉しいものよね。歩けなくなってはじめて、歩けない人の気持ちがわかるようになったわ、ほんとにね。

わたしね、そういう人の気持ちがわかるようになったから、前にね、白杖の人に困ってるかなと思って声かけたのよ。
手を持ってあげることは、これ(杖)があるからできないからね、横を歩いて ”まだまっすぐよ” とか声をかけただけなんだけど。」

身体の自由がきかなくなって初めて同じような立場の人の思いがわかったんだよ、ということを伝えてくださったその方。

見ず知らずの私にも気さくに話をしてくださっていることもあり、白杖の見知らぬ方の手助けをするということはその人にとって自然なことだったのだろうと、特に疑問もなく思いながら話を聞きつつ

”お優しいですね!”

と相槌を打ったのですが、そうすると急に声のトーンが明るく、少し早口になって

「ちがうのよ、とても勇気がいったの!だって手助けが要らないっていう人もいてはるでしょ?よけいなことと断られるかもしれないし。ドキドキして声をかけたのよ!」

と言われました。

person climbing on gray rock


私はびっくりすると同時にちょっと安心しました。

私は勝手に、人生経験も豊富で、とても気さくにご自身のことを話してくださるその方が、誰かに声をかけることに「勇気」が必要だなどと思うはずがない、と思い込んでいたのです。

こんなに落ち着いているように見える人・・・それが年配の方であればなおさら落ち着いて見えるのですが・・・でも、ドキドキしながら声をかけておられるのですね。

考えてみるとそれは不思議でもなんでもないこと。

見知らぬ人に声をかけることは勇気がいることに違いありません。

「勇気がいったのよ」と言ってくださったそのことに、私は勇気をいただきました。

電車に乗っていても、ふと周りを見渡せばいろいろな勇気に出会えるものだと嬉しくなった一日でした。





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