記憶は変わりうるという話

私の父は今から約20年前に他界しました。

体調がなんとなく悪い、と言いながら夏に健康診断があり、そこでガンの疑いがあるとされ詳しく検査すると肺がんであることが判明。

あれよあれよと言う間に年が明け、本人は仕事に復帰するつもりでいたようでしたが、ちょうど2月末ごろ亡くなりました。

当時はまだ、ガンは死ととても近く恐ろしい病でした。
今は、今も恐ろしい病であることに変わりはありませんが、薬によって上手に付き合っていくことができる病気と言われるようになりました。


入院してからの父にまつわるエピソードにはいくつか忘れられないシーンがあるのですが、最近、その「忘れられない」と思っていた記憶が、実はちょっと違った?と思うことがあったのです。

blue blur bright close up


先日、当時同じ場面にいた母と、それ以来始めて、その時のことについて話しをする機会がありました。

20年ぶりに同じ場面のことについて話しをしたわけです。

すると、微妙に、母と私の記憶が違っている部分があるのです!

そのシーンというのは、病室の父を残して洗濯物などを持って母が家に戻り、その後、職場から帰宅した私とともにまた病院へ行き、病室へ入り、父とした3人の会話の場面。

もう病床で自力で起き上がることができず、モルヒネも入っており、めまいがするといって電動ベッドの上半身を起こすこともほぼできなかった父が、なぜか私たちが病室へ入ったとき、ベッドの背もたれが垂直に立てられ垂直に身体を起こしているという、普通だったら違和感の無い光景なのですが、その時の私たちにとっては異様な姿の父がありました。


ここで私たちの記憶に違いがあることがわかったのです。

私の記憶では、私が母より先に部屋に入ってその光景を見て、「どうしたの?」と声を掛けた・・・ということになっていました。

しかし、母の記憶では、母が先に部屋に入り「どうしたの?」と声を掛けたというのです。

思いもよらない父の姿に、母も私もおそらくベッドの上の父の姿を同じように鮮明に記憶しており、そのシーンの前後のことを忘れられずにいたことは共通の記憶なのですが、なんと細かい部分では違っているようなのです。

brain inscription on cardboard box under flying paper pieces

私ははっきりと、「自分が先に部屋に入った・・・」と母に話しをするその瞬間まで思っていたのですが、母から違う、と言われ、話しをしているうちに自分の記憶に自信がなくなってきました・・・。


いくらしっかり記憶しているつもりでも、実は事実とは違って記憶されている、ということは「脳」の働きとしてあるのだそうです。

記憶が変わる、ということは特別なことではなく、人とはそういうもので、「変わる」だけでなく意図的に「変えられる」こともあります。

なぜ、そういうことになるのか。

脳がそのように働く理由はなんなのか。

・・・と考える場所も脳。と考えだすとなんだかややこしいですね・・・


私の記憶のように、取るに足らない記憶であれば多少変わってしまっても困ることはありませんが、重大な記憶であれば人命、人権にかかわるようなことにもなりかねません。

一方、楽しかった記憶がより楽しかった記憶として美化されて残ることもあるようで、これは生きていくうえで必要な力と言えるかもしれません。


簡単に記憶が変わるというのは、人というのはなんとも不確かで頼りないもののようにも思えます。

しかし、都合よく記憶を書き換える柔軟さは、生き抜くために人が持つしなやかな能力とも言えるでしょう。



いずれにしても自分自身の記憶が変わりうるということを知っておくことはとても大切ですね。


それにしても私の記憶。

母の圧?で私の記憶のほうが間違っていたような気がしてきていますが、もはや20年前のこと。

正解はあの世の父に聞いてもわからないかもしれません・・・。

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