「母」になる自信がない
初めて子どもを授かったとき、女性は初めて母と呼ばれる立場になります。
想像していたとしても実感がわかなかった妊娠。
ある日を境に突然「産婦人科」に通うことになり。
実感がまるでないのに「母子手帳」を渡され、病院では「お母さん」と呼ばれるようになります。
自分のおなかの中に、自分とは違う心臓を持つ生きものがいて、日に日に大きく重くなり。
経験したことのない「つわり」を経験し。
体型を見るだけで「妊婦」であると周囲に知られるようになり。
おかげで電車に乗ると、いままで譲ったことはあっても譲られたことのない席を見ず知らずの人が譲ってくれる親切を受けることもあるのですが。
そのうちに、靴下さえ自分ではけなくなり、入浴するのも一苦労。
それでもまだ、母としての実感が湧いた、とは思えない。
「母親教室に参加しましょう」といわれ、赤ちゃんの沐浴の仕方、おむつの換え方のレクチャーを受けるがうまくできる自信がない。
まるで自分が自分でないような感覚のまま、あれよあれよという間に「入院」。
「ご希望の出産を教えてください」と病院で聞かれたりするも、ご希望もなにも、何が起こるかわからないのに何をどう希望すればよいのか、ほかの人はいったいこういうときにどのような希望をするものなのか?
いつまでたっても「母」としてうまくやっていける気がしないままに出産・・・
そこからは休みなく続く「母」としての生活が始まります・・
保健所へ行っても、病院へ行っても名前ではなく「お母さん!」と呼びかけられるのは、自覚を持てということなのか・・・?
「もともと小さい子どもが好きで・・・」「子どもがほしくて・・・」という女性であっても「母」になるのが初めてであれば不安も感じるもの。
それが、子供が苦手で・・・という女性であれば、「妊娠」ということに違和感を感じるのも無理はありません。
女性だからといってあたりまえのように「母」になる気持ちを持ち合わせているとは限らないのです。
ましてや妊娠時から、出産に備えるために体内のホルモンバランスが大きく変化し、気持ちが不安定になります。
その上コロナそして出生前診断や発達障害、景気の悪化による先々の不安、などなど不安な気持ちにならざるを得ない情報があふれています。
どう考えても「母」になることに前向きになれる要素が少なすぎます。
それでも!女性は母になっていきます。
どうやって?
・・・子どもの力によって・・・!
子どもが笑ったとき、一緒に楽しい気持ちで笑えたら、一歩母になる。
子どもが泣いてどうしたらいいかわからなくなったとき、また一歩母になるのです。
子どもが独り立ちできるまで成長する間、母もまた母として成長するのです。
大丈夫。
今、自信がなくても、ちゃんと子どもを見て大切にしていれば、母になれます。
そして、そんな「母」を助けてあげたいと思っている心優しい人は、世の中には実は大勢いるのですよ。
なぜなら誰だって最初から自信満々で子育てをしていたひとなどいないのですから。
そしてこんな風に考えてみてはいかがでしょうか。
子どもが独り立できるようになるまで・・・それが世間一般で「成人」と言われるときとおおよそ同じ時期になればよいですね・・・そのときまでは、子どもの人生をまるっと引き受け、こちらは母として成長させてもらいながら一緒になって泣いたり笑ったり怒ったりしながら生活をする。
そうして時期がきたら子どもの人生を、その子ども自身にそっと返してあげる・・・。
親から返してもらった子どもは、自分自身の対処について自由に判断し決断していきます。
そして自由であるから故に発生する責任をも自分で対処しながら自分の足で生活していくのです。
親から人生を返してもらったとき、子どもが「ありがとう!」と思える人生であればステキですよね。
どんな人生を子どもは「ありがとう」と思えるのか。
それを考えるとき、子育ての不安が少なくなるように思います。
いま、自信がなくてもいいのです。