「いじめ」に負けない心を守る力(2)
「いじめ」に負けない心を守る力(1)の その2です。
10代後半の女子学生Bさん。
4月。
クラス替えによって、新しいメンバーと勉強をすることになったBさん。
クラスが始まったころはみんなとお昼ごはんを食べたり一緒に駅まで歩いたり・・と仲良くしていたのに、ゴールデンウィークを前にどうもその「仲」がぎくしゃくしてきた気がしていました。
そのうちに、授業が終わってお昼ごはんを一緒に食べようと声をかける前に、クラスメイトたちは教室の外のどこかに行ってしまって、SNSで聞いてみても返事がなかったり、放課後一緒に駅まで帰っていても、途中で「買い物にいくから・・・」などといってBさんだけを残してみんな去っていってしまうことが続くようになってしまったのです。
何か悪いことでも言ったのか、と振り返るのですが思い当たることはありません。
クラスの中で助けてくれる人もおらず、クラス内に居場所が感じられなくなったBさんは、授業のモチベーションも下がり、もう学校を辞めようかなと思い教員に相談しました。
相談の中でたくさん泣き、いろいろ話しをしましたが、最終的にBさんは教員にこう頼みました。
「みんなが私のことを気に入らないなら仕方がない。勉強は一人でやっていく。でも、昼食だけは、話しかけてくれなくてもいいので輪の中に入れてほしい。帰り道も話しかけてくれなくていいので、少なくとも駅までは一緒に歩いてほしい。これを、クラスメイトに伝えてほしい。」
教員は、これをクラスメイトに伝えました。
その後。
Bさんはクラスの輪の大切な一員となり、全員仲良く卒業していきました。
さて。
2つのエピソードをご紹介しました。
いずれも文字で書くほど簡単ではありませんでしたが、それでも上向きな状態になりました。
いつも、どんなときもそう簡単にはいかないかもしれません。
しかし、いつも、どんなときも、状況が悪化してしまう、というわけでもないのです。
2つのエピソードに共通していることは何でしょうか。
2人とも、まず、「いじめられるのは嫌だ!」という強い気持ちを持っていました。
当たり前ですね。
誰しも、2人と同じ状況であれば「嫌だ!」と強く思うに違いないのです。
気をつけたいのは、時が経ち誰の助けも受けられないまま問題がエスカレートしていくと「嫌だ!」と強い思いが「あきらめ」や「無力感」になってしまいます。
「嫌だ!」という思いを受け取ることができた大人は、しっかり手助けしたいものです。
そして2人とも「身近な人に助けを求めた」。
A君は一見、自分から助けを求めたようには見えないかもしれませんが、教員に声をかけられたとき、教員から差し伸べられた手をしっかり握り締め、助けを受け入れることができました。
「どうせ何もかわらない・・・」と諦めてしまったり、「先生に手伝ってもらうことで、またいじめられるんじゃないか・・・」と恐怖を感じる気持ちがあると、「助けようか」という言葉を受け入れることができません。
Bさんは「辞めたい」と思いながらも、学校を辞める手続きをする前に、教員に相談することができました。
Bさんは今の状況をなんとか変えたい、という思いがあったのですね。
助けを求める力。これはとても勇気が要る力です。
助けてくださいというのは恥ずかしいこと、と思っている場合もあります。
勇気を振り絞って助けを求めても、それがうまくいかないこともあります。
助けを求められた側も、どのように動けばよいのかわからない場合もあるからです。
もし、うまく動くことができなかったとしても、そんなときも、助けを求める側も、求められた側も、また別の人に助けを求めればよいのです。
「一人では解決できないことでも、誰かの力で救われることはある」ということと、「あなたに何かあれば助けになるよ」と、日ごろから大人が伝えること、そしてそれを日常から態度で表していると、子どもは信頼し「助けて」と言いやすいですね。
そして2人とも共通して、「具体的にこうしたい!」と自分の外に伝えることができました。
A君は、クラスメイトに自分のされたことを知ってほしい、もうこんな目に合いたくない、負けたくない、という強い思いがありました。
Bさんは、クラスメイトに「自分のことが嫌なのであれば、話しかけなくてもいい。ただ、お昼を一緒に食べてほしい、一緒に帰ってほしい。」と伝えたいという強い思いがありました。
自分がいじめられていることを、それを知らない人にまで知られることはつらいことです。
また、「自分のことが嫌なのであれば話しかけなくてもいい」こんなことを口にしたい人がいるはずがありません。
でも、彼らは勇気を持ってそれを伝えました。
自分の思いを外に表したことで、周囲はようやく彼らのつらさを理解することができたのです。
「いじめ」に合うと、人間不信に陥り、周囲の人すべてが「いじめ」側の人間と同じような目で自分を見ている・・・と思いがち。
そんな風に感じると、世の中は文字通り灰色に見え、救いのない絶望的な気持ちになります。
子どもたちの世界は大人が思う以上にとっても狭いもの。大人が思う以上に簡単に絶望を感じてしまうのも無理はありません。
実際には世の中は広く、さまざまな考え方の人が存在し、自分にも必ず居場所があるということを知る成長の途中なのですね。
ご紹介したエピソードはある程度年齢を重ねた子どもたちのお話しでした。
年齢が幼ければより大人の積極的な介入が必要になると思います。
いずれにしても、子どもが「いじめ」に巻き込まれてしまうとき、相談をする力を持ち、自分自身の思いを伝えられるような子どもに育っていてほしいと思います。
つらいという思いは、それを口にすれば誰かの心に必ず伝わる、ということ。
「いじめ」の張本人に伝わらないとしても、周囲にいる人がきっと気にしてくれて助けてくれるということ。
大人が介入することを通して、世界は、人は信頼に足るものだ、ということを子どもたちに伝えてあげたいものです。