「いじめ」に負けない心を守る力(1)


同じ年齢の子どもたちを同じ場所で過ごさせることで、互いに共感しあったりぶつかりあったりしながら成長できるというのが学校にいることの醍醐味の一つです。

ぶつかりあう・・くらいなら良いのですが、子ども間の「いじめ」も学校という場所でよく起こりうる問題です。

大人の社会でも「いじめ」はありますから、まだ人生経験が少なく自分の気持ちの取り扱い方にすら慣れていない子どもであればなおのこと、他者を簡単に攻撃することはいつでもどこでもありうる話です。

shadow of home plant on wall


「いじめ」は発覚した時にはすでに子ども同士で解決することが難しい事態になっていて、大人が介入しなければどんどんエスカレートしていってしまうケースも少なくありません。

介入と一口に言っても、大人にとっても解決のためには時間もパワーも必要になります。
また目の前に起きた出来事に大人も動揺してしまうこともあり、とりあえず目の前の見えている「いじめ」を見えないようにすることに注力されてしまうケースもあります。

もちろん、目の前の「いじめ」を無くすことは大切なのですが、ただ事象をなくす、ということだけでは本当に子どもたちの中にある「いじめ」る態度や感情を無くすということにはなりません。

起きてしまっている「いじめ」を解決し、今後エスカレートしないようにするには大人としてどうしていけばいいのでしょうか。


a flowering plant on a pot



「いじめ」を根っこから解決することは、教員やスクールカウンセラーだけでなく保護者も関わる、とてもパワーが必要な取り組みになります。

解決の方法に「正解」はありませんが、まずはいじめられている側の子どもを最後まで守り抜くことを、大人である自分自身が決意することが大切だと思います。

「いじめ」は、いじめられている側の子どもを守ることが最優先。
一方、いじめている側の子ども(たち)は何かしら心理的な問題を抱えているケースが多く、この子どもの問題を紐解いていくことが「いじめ」の根っこに通じる場合も多いのです。

いじめる側、いじめられる側、双方に適切な心理的介入行うことが子どもたちの成長にとって必要なことです。


さて。

「いじめ」とは無関係に見える子どもたちを見ていてつくづく思うことがあります。

最初はどんな「いじめ」であっても「芽」があります。

ただ、すべての「芽」がすべからく大きく育ってしまうことはないはずなのです。

いじめが「芽」であるうちに、自分が今受けているのが「いじめ」であると気がついた子どもは、いったいどのような力や助けがあれば「いじめ」をエスカレートさせずに終わらせることができるのでしょうか。

こんなことがありました・・・

pink grey and white petaled flowers clip art

男子中学生A君の場合。

A君は遊びのような中で、以前から、クラスメイトである複数の男子生徒から教室の内外でからかわれたりしていました。
クラスの女の子たちは気になっていたようで、時折「A君がかわいそう」という声も上がっていましたが、A君の様子は本気で嫌がっているように見えるときもあれば、仲間同士の中で話題にされていることを楽しそうにしているように見えることもあったので、それ以上のことは誰もしてきませんでした。

あるとき、数日前からA君へのからかいがエスカレートしているような様子が見受けられていたところ、ついに、A君を悪く言う言葉が書かれた紙を、A君の背中に貼り付け、それをみんなで見て笑う、というような出来事が起きました。
紙に気がついたA君は泣きながら抗議をしたのですが、紙を作った者、貼り付けた者は知らん顔で「自分ではない」とうそぶいているだけです。

学校の廊下で身を小さくして紙を握り締めて泣いているA君に、教員が声をかけました。
「助けになりたいんだけどいいかな?」
A君ははっきりと「うん」とうなずきました。

「クラスのみんなにあとでA君の今日の話をしてもいいか?」
A君はまた「うん」とうなずきました。

「先生がみんなに話しをすると、もしかしたら、”A君が先生にいいつけた”といって、また何か嫌なことをされるかもしれない。
その時は、絶対に隠さずに教えてくれる?」
A君はしっかり「わかった。ちゃんと言う。」とうなずきました。

このあと約束どおり、教員は日ごろA君をからかっているクラスメイトがいるクラス全体に、この日の出来事について話をしました。

その後、A君は教員のところへ来て笑顔を見せ「なんとかやっています。ありがとうございました。」と言ってくれました。

もう1つ とある出来事を紹介します。
2つ目は10代後半の女子学生です。

つづく

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