自然~苔テラリウム

最近、家人が「苔セット」なるものを購入してきました。

「苔テラリウム」というそうです。

ガラスの器に土を入れたり石を入れたりして好きな風景を作り、そこで苔を育てて楽しむもののようです。

green grass field


ガラスの中に小さな庭・・・自然・・・を育てる。

緑のふわっとした苔たちがガラスの中に大切に収められている様子に、苔テラリウムというものを知らなかった私自身もいつの間にかほっこり癒されています。

光を浴びてまっすぐ伸び、静かに、でもひそかに呼吸しているはずの苔。

京都の大原三千院やその近くの宝泉院は大好きな場所で、マイパワースポットとしてたびたび訪れる場所ですが、美しい苔がたくさん見られます。
そんな場所でしか見られないと思っていた苔が(同じ種類の苔ではないでしょうが)、家の中の小さなガラスの器の中にあるという面白さ。

小さな苔たちですが、そこに存在しているという力強さを感じます。

そこだけとても自然が感じられる・・・

clear glass terrarium jar with mossy plants


「自然」というと、あるがままで美しいものというイメージがありませんか?

それは風景だったり、生き物の生態だったり、ある人のたたずまいだったり、夜空を見上げたときの星々だったり。

「自然」と聞いて思い浮かべるものは人それぞれかもしれませんが、きっと多くの人が「自然」を、美しいもの、あこがれるもの、癒されるもの・・・といったすばらしいものとして思い浮かべるに違いありません。

selective focus photo of white flowers



考えてみれば、植物だけでなく、わたしたち人間を含む生き物も、自然。自然の一部なのです。

ありのままの風景を、ありのままの動物たちの営みを美しいと思うように、私たちもありのままでいることが美しいのだと思います。

では、どういう状態がありのままなのでしょうか?

自然のありのままがいいからといって、生まれたての格好で出歩くわけにはいきませんね。

何でもかんでも我慢することが「ありのまま」ではないだろうということはわかります。
だからといって時や場所を考えずにしたいことをしたいようにすることが「ありのまま」の自分で、それこそが自然で美しいのか、というと、それはそうでなかったりします。



周囲のことも気にかけながら自分自身を表現すること。

泣くことも怒ることも、喧嘩することも「ありのまま」。

「ありのまま」でいることは今の社会の中で生きていく中ではなかなか難しいようですが、ガラスの中の苔テラリウムが、自然について考えるひとときを与えてくれる・・・

苔テラリウムの人気の理由かもしれませんね♪







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