母と娘 同性であるがゆえの問題が 親離れ、子離れのころに 表面化するという話
(事例をもとにしていますが、本人が特定されないよう情報は加工しています。)
ある学校で。
なかなか登校できない生徒がいました。
勉強はしたい。卒業もしたい。でも学校に登校することが難しい。
先生や授業が嫌なわけではない。クラスメイトともうまくいっている。
でも学校には行けない。授業をしている教室に入れない。
「なぜかわからないんです」とは本人の言葉です。
カウンセリングの中で、彼女はいつも淡々とした話しぶりで、そんなに落ち込んだり苦しんでいる風もなく、かといって楽しそうでもなくといった様子でした。
しかし「お母さん」の話がでると、彼女はきまって涙をこぼすのです。
何度かカウンセリングをする中で、次第に彼女は「お母さん」との関係に問題を抱えていることがわかってきました。
本人の了解を得た上で、お母さんにもお会いしてお話を伺いました。
本人から聞く「お母さん」の姿と、実際に会ってお話を伺った「お母さん」とは、それほどかけ離れているようには思いませんでした。
しかし、本人が「お母さんは私のことをこう思っている」ということと、反対にお母さんが娘に対して抱いている思いは違っていました。
本人は、お母さんが自分のことを「愛していない」「大切に思ってくれていない」と感じていたのです。
そして、娘のその気持ちを、お母さんは気がついてはいないようでした。
お母さんは
「今まで本人の将来のためと思って、学校にも行くように何度も話をしてきました。
でも、本人はまったく聞く耳を持たず、母親である自分の言うことはまったく聞いてくれないんです。
学校に行かないことで本人に何か不利なことが起きたとしてもそれは仕方がないです。
本人が痛い目にあわなければ学ばないのだからもう退学すればいいと思ってるんです。」
というふうに考えておられました。
家でも同じようにお母さんは彼女に伝えているらしく、彼女はお母さんからの「退学すればいい」という言葉が胸にささり、さきほどの「お母さんは私のことを大切に思っていない」というところに考えが行ってしまったのです。
もちろん、今回のことだけで一足飛びにそういった考えになったわけではなく、これまで母娘が一緒に過ごしてきた時間、歴史があって思いのすれ違いが大きくなってしまったのですね。
結局、残念ながら彼女は退学することになりました。
授業への欠席が卒業を満たせないほど多くなってしまったからです。
退学が確定になってしまったとき、それまでは「退学すればいい」と言っていたお母さんが、娘が同席する場で学校関係者に「なんとか退学にならない方法はありませんか?」と頭を下げてお願いをされました。
そのとき。
お母さんが同席するときにもずっと涙を流していた彼女の涙が止まり、とても驚いたような顔でお母さんを見つめていました。
数日後、彼女と最後に話をする機会がありました。
「お母さんがあんな風に自分のために学校の先生たちに言ってくれるとは思わなかったです。
本当にびっくりしました。あんなことを言うなんて。
でも嬉しかったです。
退学という結果になってしまってみんなに迷惑をかけたけれど、私にとってはよい結果になったと思ってます。ありがとうございました!」
とても晴れ晴れとしたすっきりとした表情でした。
学校に行けない、という行動をとることで、彼女はお母さんと向き合いたかったのでしょう。
そんな風に意識をしていたわけではないと思いますが、彼女は随分がんばったと思います。
お母さんもそんな彼女のために、きっと親としていろいろと不安な気持ちを持ったと思いますが、しっかり娘さんに向き合われていました。
母と娘。
同性であるがゆえに心の距離が近くなりがちで、親離れ、子離れのころに互いの関係を見直すべく、大きな問題として表面化してくることがあります。
見えてきた問題を、何が根底にあるのかに目を向けることで、二人の関係も成長します。
母と娘という関係を維持したまま大人同士、一個人としての距離感を持つことができるようになれるといいなと思います。