今の自分がわかるということは、足りないものがわかり、目指す場所も見えてくるということ。
冬季オリンピックのフィギュアスケート男子シングルが終わりました。
結果はともかく素晴らしい演技を見せていただき感動いたしました!
演技のあとのインタビューで印象に残ったことがあります。
鍵山優真選手も宇野昌磨選手も羽生結弦選手も、試合後のインタビューで同じように語っていたことがあります。
それは「出来たこと」。
自分が「出来たこと」を言うことは、なかなか難しいことです。
たとえば「長所と短所を教えてください」と言われて、”短所はすぐにたくさん答えられるんだけど、長所はちょっとでてこない・・・。”ということはありませんか?
日本では「謙譲の美徳」という言葉があり、自分自身をへりくだることを良しとする文化があります。
これは相手を大切にしようとするとても美しい姿のひとつです。
「私などとてもとても・・・」と一歩後ろへ下がる姿は、あまり目立つことを良しとしない・・・それは、「和を持って尊しと成す」からつながる古き良き日本を表していて好ましく受け止められます。
そうして私たちは子どものころから自分を出すことよりも、周囲に溶け込む、空気を読むことを求められて育つことが多いです。
こうして育つと、本来育みたい謙譲や謙遜の精神ではなく、何か目立つもの、自分たちと異なるものが気になるという視点のほうが大きく育ってしまうことがあります。
残念ながら、そういう視点がこどもの世界でも大人の世界でも「いじめ」の温床になりうります。
謙譲、謙遜が根っこにあるので、排除する側は「相手にとって悪いことをしている」という意識が薄くなってしまうのです。
異なるものを排除するというのは何も悪いことではなく、私たち人間の動物としての本能的なものでもあるかもしれません。
なぜなら、たった一人では生命を維持することは難しいですものね。
周囲をよく見て協調し力を合わせるからこそ、一人ではとてもできないような大きな獲物を捕まえたり多くの収穫を得られるようになり豊かに安心して生活ができる・・・というのが本来の私たちの生き方です。
今の社会でも根本的に、周囲と協調することは大切ですよね。
しかし、自分と異なるもの、気になるもの、空気を読めないものを、なぜ異なると思うのか、なぜ気になるのかということを抜きに、ただただ排除するように振舞ってしまうのはどうでしょうか。
もし異なるものが気になって違和感を感じるとき・・・その違和感がいったい自分の中のどこから来るのかを見つめることができればいいですよね。
異なるものを排除する考え方、ものの見方は、実は自分自身の世界も狭めていることになるからです。
さて。
周囲の人たちと協調しながら仲良く過ごしていくためには「謙譲」や「謙遜」は必要な振舞いですが、そういう周囲から抜きん出て何かを成し遂げようとする場合には大きなブレーキになってしまいがち。
たとえば世界のトップレベルの大舞台で実力を発揮し金メダルを目指し、勝ちに行く!ためには、日ごろからへりくだって一歩下がってばかりいる考え方では難しいのではないでしょうか。
ただ、それは、謙譲をやめてしまおう!ということではなく、また他人を押しのけようということでもありません。
どういうことかというと「自分自身のできる力を自分で認める」ということです。さきほどのフィギュアスケートの選手たちのように。
「明らかに以前よりも上達している」「成長した自分がいる」・・・選手たちは自分が成長したこと、できたことをしっかりと言葉にしています。
自分自身が今できていることを理解しているというのは、今、どういった状態にあるのかを客観的に見つめているということです。
そして今の自分がわかっていてそれを言葉に出来れば、足りないもの、出来ていないことも「謙虚」「謙遜」ではなくまた誇張するのでもなくあるがままに受け止められるようになります。
それは次に自分が向かう場所が見えてくるということなのです。
まずは自分のできること、できたことを、自分の口で言葉にしてみましょう。
誰かに認めてもらわなくてもいいのです。
そして格好いいことでなくてもいいのです。日常の身の回りのことでもいいのです。
朝、気持ちよく起きられた!
全部ご飯を食べることができた!
笑顔で話をすることができた!
時間に間に合うように到着できた!
好きなものを選ぶことができた!
片付けることができた!
自分の思いを伝えることができた!
相手をほめることができた!
・・・
言葉にして、その言葉を自分の耳で聞く、というのもとても大事ですよ。
出来たこと、できることをひとつひとつ、自分自身に教えてあげてください。
そうすると彼ら・・・オリンピアンのように心が強くなってきます!
そこから次のステップに進むことができますよ♪