心を強くするということ(1)
心を強くするとはどういうことか考えて見ましょう。
例えばフルマラソンに参加しよう!と思う人がいたとして。
その人はまず何をするでしょう?
参加したい大会がいつ開催されるのかをきっとチェックしますよね。
そしてその日のために今日から逆算して筋トレを始めたりランニングをし始めたりと、怪我無く完走するために日ごろから少しずつ準備を始めるのではないかなと思います。
いきなりフルマラソンに出よう、という無茶なことはしないはずですよね。
それでは次のケースを考えてみてください。
明日、誰かと一緒に仕事をしたり、おしゃべりをしたりする予定がある人がいるとして。
その人は出会うはずの誰かとかかわりを持つために日頃から何か準備はするでしょうか?
「明日は外に出て誰かと話をするから会話の練習をしておこう!」
という方は見かけないですよね!?
肉体を使うような場合には準備運動をするのはあたりまえ。
でも、誰かと会話をするために準備”会話”(?)をする、というのは聞いたことがありません。
当たり前ですね?
当たり前でしょうか?
準備会話、あってもいいかもしれませんね!?
さて、準備会話ならぬ会話について。
会話は自分と相手がいて成り立ちます。
自分の言葉が相手に伝わって相手の言葉が自分に伝わって進んでいきます。
ふとしたことで、伝えたはずの言葉が伝えたつもりのない形で相手に伝わったり、相手の言葉が思いがけず自分の心に波紋を生むことはありませんか?
心が元気なときはその波紋も小さなさざなみのようにスッと消えてしまいます。
・・・日ごろから鍛えておけば多少激しい運動をしてもその日のうちに筋肉痛が消えてしまうように。
しかし、心が傷ついている時、弱っている時はどうでしょうか。
心が弱っていると、元気なときにはさざなみのように感じられる波紋にすら非常に大きなダメージを受けることになります。
我慢強い人、自分で自分を納得させてしまう人、誰かのせいにしない人・・・このような、本当は心が強い人ほど心が弱ってくると折れやすくなりがちです。
ダメージを受け、折れてしまうと「また折れてしまうのではないか、また痛い目にあうんじゃないか」と怖くなって外に出ることすらできなくなることもあります。
身体は元気でも心がダメージを受けると動けなくなるのです。
あなたはいかがですか?
我慢し続けていませんか?
わたしが悪いから・・・と自分を責めたり、「わたしが悪い」はずはないのに無理やり飲み込んで納得しようとしていませんか?
ところで動けなくなることや外に出られなくなることは、おかしいことや間違いではなくて正常なことなのですよ。
痛くなるのを怖がること、動かないことは、それ以上傷つくことから自分を守る力でもあるのです。
ただ、自分を守る力があまりにも強すぎると、外に出られなくなったり話しができなくなったりするなど社会生活上困ることも出てきます。
誰かとかかわりを持つことはとても大切で必要。
一方、誰かとかかわりを持つということは傷つく可能性がある、ということ。
だからこそ、先ほどのフルマラソンのための準備のように、元気な時に、やはり心も強くしておくことが大事なのです。
自分には弱い面もある。心は守る必要がある。と知っておくことが大切です。