今だから話せること
最近身内に不幸がありまして、葬儀に参加することになりました。
残念ながらこういうときだからこそ、あまり普段は親交のない遠い親戚と会うことができるものです。
いままで長い人生をともに歩んできた身内がこの世を去る、去ってしまったという時。
残された親族たちはそれぞれに喪失感を胸に抱きます。
非日常的な感情に心を揺さぶられたとき、今だからこそ言える・・・という話が出てくるものですね。
ひとつの命がこの世を去った瞬間から、弔いのために各所に連絡を入れたり送迎をしたり打ち合わせがあったり・・・という流れの中で、私はどういうめぐりあわせか今回、死者にまつわる遠い過去の出来事を、その時まったく別の立場にいた2人から、別々のタイミングで話を聞く時間がありました。
その2人は死者のことをとても大切に思っているのですが、その話は残念ながら話し手にとって良い思い出話とは言えないものでした。
いままでも話をする機会はあったのに2人ともそんなことはおくびにも出さずにいたので私は心から驚きました。
2人とももう気持ちの上では過去の出来事を自分なりに乗り越えていましたが、当時の彼女らの心もちを思うとどれほど辛かったことかと、そんなに深刻な話題になるとは想像もせず無防備に聞いてしまった私は言葉が出ませんでした。
2人とも互いに別の理由で理解し合えない状況がずっと続いているのでしたが、「ではお互いに腹を割って話し合って情報を交換し、誤解を解きましょう」とは簡単には行かないこともよくわかりました。
事態が深刻すぎると、身内だからこそ当時言えなかったこと、今も伝えられないことはあるのですね。
身内でなくても、いろいろな関係の中で口にできないこと・・・たとえば、自分が口にしてしまうことで自分にとって大切な人がとんでもなく傷ついてしまいそうだから・・・はある。
あってはならないことですが、あるのです。
そういったことを、今だから話しができる気持ちになった、ということなのでしょう。
大切な人が亡くなってしまった今だから言えること。
まだこの世に生きている人がいるから、大きな声では言いたくないこと。
どのタイミングで話をするのがいいことなのか。それは誰にもわからないことです。
・・・私が子どもだったころ、葬儀のときには大人たちがヒソヒソと話をしていた風景を思い出し、あのときの大人たちも今の私たちと同じように「今だから話せること」を語っていたのではないか、そうやって大人は互いの心の荷物を分け合いながら生きていたのかもしれません。
今回、2人が自らの思いを口にできたことで少しでも心が軽くなったのであれば良いと願うばかりです。